無題
今、ある医療関係の本を読んでいて、気になる言葉がありました。
「何かあったら、医師を訴えてやろうという態度がありありと見える患者や家族に遭遇することがある。」
医療の現場では、命と隣り合わせですから、いくら心配しても安心することが出来ない方もいるでしょう。
しかし、その時点で、すでに医師を信用していないんですね。
そして実は、自分のことも信用できていないのでしょう。
既に医療現場で被害に遭われた方には受け入れがたい、浅はかな意見かもしれませんが、私は以下のように思います。
命を預けるだけの覚悟をし、何があっても受け入れるだけの心のゆとりを持ってから、お医者さんへ行くべきではないかと思うのです。
案外そうした方が、うまくいくからです。
不思議なことに、最悪のことを想像すればするほど、その通りになるのですから。
逆もまた然り。
それほど、心構えは大事なんですね。
誰もが、いつでも選択の連続です。
それも無意識に選択していることが多いのですが、選んだのは自分の責任。
自分が選んだことだと自覚すると、たとえ不可抗力や事故だとしても、大抵のことは容易に受け入れられます。
なんだか宗教的な考えに聞こえますが、決してそうではありません。
あくまで心構えのお話です。
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私の場合、“患者”を“クライアント=建築主”に置き換えられますが、私のところには最近、そのようなお客さんは来なくなったように思います。
最初はそうだったかもしれませんが、話を重ねる間に、薄れてくるのかもしれません。
そんな中でお話しするのが、「建築物は個人の所有ですが、社会の財産」ということです。
外観は地域に大きく影響しますから、周りのことにお構いなしに出来ません。
過剰なほどの夢を、家に盛り込むこともなくなりました。
家=夢ではなく、暮らしそのものが夢であり、豊かでなくてはなりません。
家の完成がゴールではなく、そこから暮らしがスタートするんですね。
私のところに来られる方が、建築に対して、このような理解を持たれることは、うれしい限りです。
そして、“患者”を“自分”に置き換え、いつの間にか自分のことを棚にあげてないか、常に振り返えることも大切ですね。
自分を省みる“心構え”を持たなければと思います。
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