災害
昨年、新潟では7月13日に中越水害、10月23日に中越地震と、災害に見舞われました。
←水害では、私は2週間ほどしてから被害調査に参加したのですが、決壊した付近の建物が完全に流され、原形をとどめない車が、まだそのまま置いてありました。
震災でも、3週間して住宅の相談を受けに、震源地の川口町へ行きました。 川口町へ行く途中の道は、ところどころ崩れ、雨でさらに崩れてしまうのではないかと、ハラハラしながら行ったのを思い出します。
いまだ余震が続く中、住宅相談を受けたりしていましたが、よくテレビで見る「軍隊のベースキャンプ」のような状況で、実際にはそれ以上に過酷な避難生活だと思います。 水もままならず、トイレは仮設があるものの、水は貴重なので流すのは禁止(出ない)。
コンビニなんて開いてませんから、我々支援者も、水と食料の用意をしていくのが、最低限のルールなのです。 後日、現地の人から、「ボランティアに来てくれるのは嬉しいが、迷惑な人も多い。自分の食料と寝るところは、自分で確保してくれ。できなければ来ないで欲しい」と、こぼされていました。
昨日、とあるワイドショーの有名な司会者が、今回の関東地震で「震度5強の連絡が30分も遅くなったのは、けしからん」と言ってましたが、「それならアナタは、3日分の食料と生きるすべを持っているのか?」と、聞きたくなります。
大震災でもし家族が死んでしまったら、3日間生き延びるのは、私でも自信がありません。
被害がなかったのをいいことに無責任な発言は、やめて欲しいものです。
今日はちょっと、怒りのコメントでした。
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コメント
そうですか、川口町までいらっしゃったんですね。
お疲れ様でした。m(__)m
父が旅行に行っていたので、その日はちょうど母と
私と2人きりでした。
新潟市に住んでいる弟は、東京に用事で行っており、
その日の遅くに新幹線で長岡に帰ってくる予定でした。
そして地震。
すこし経ってから、弟とメールのやり取りをしました。
弟『怪我は無いですか』
私『母も私も大丈夫、東京に泊まれ!』
(ここで電池マークが一個になりました。)
弟がまたメールをよこします。
『家は・・・壊れたのですか?壊れたのならメールの
返事はいりません』
真っ暗な中、傷んではいるけれど、とりあえず
家は建っているので『壊れていないよ』と打ち、送信!
・・・・・と、ここで【充電をしてください】の
メッセージが出て送信出来ず~~~。
(停電なので、充電も出来ず・・・泣)
返事が返ってこなかった弟は、家が潰れたんだと涙が
出たそうです。
翌日彼は、羽田→北海道→新潟と飛行機に乗り継ぎ
帰ってきました。(^_^;)
投稿: ゆんゆん | 2005年7月26日 (火) 16時34分
うぅ~~~ウルウル~~(==;)
ゆんゆん家ではそんな体験をなさってたのですね?
弟さんの気持を思うと・・・。
お家は直さなくても良かったのかな?
本当に災害って怖いですし、厄介なものですね。
いつどこで起きるか分からない『災害』心の準備と備品の準備は必要だと思います。(準備してないけれど←コラッ)
台風~~~何事も無いといいけれど。
投稿: きりたんぽ | 2005年7月26日 (火) 18時16分
大丈夫!直して住んでるよ~~。(^^)v
でも弟は、その日とりあえず在来線で群馬まで行き、
それ以上先に行けないことを知る→ネットで航空券を
予約→羽田行きの最終バスに乗る(バス停を聞いたお巡りさんが、
間に合わないからとパトカーで送ってくれたとか・・・)
→そして翌日早々北海道へ・・・と、貴重なパトカー体験に喜んでいました。(悪い事しないと、なかなか乗れないもんね!!爆)
投稿: ゆんゆん | 2005年7月26日 (火) 23時47分
ゆんゆんさん、地震直後に携帯はほとんど使えなくなりましたね。電池がなくなったのでは、さらに不安だったでしょう。
万が一、携帯で連絡を取りたいときは、一旦電源を切って、再度電源を入れてすぐ掛けるとつながりやすいです。電源を入れたとき携帯が電波の送受信先を探す習性を利用したやり方です。
あの日、東京から戻ってくるのは大変だったようですね。ある知り合いは、長野経由で24時間以上かかって戻ってきたとか。またある人は、福島の方から新潟入りしたと聞いてます。
いざと言うとき大事なのは「物」の準備ではなく、「心」の準備だと理解しています。
投稿: やまじ | 2005年7月28日 (木) 10時31分